LOGIN翌朝。いつも以上に目が早く覚めた。ちゃんと寝れたような寝れてないようなフワフワしたような感覚。こんなに朝が楽しみな日が来るなんて、いつぶりだろう……。今までは期待するだけ期待しても裏切られた毎日。同じ家に住んでいても、ほぼ顔を合わせることがなくて、朝を迎えることに嬉しさなんて感じることもなかった。広いリビングで、一人で食べる寂しい朝食。かろうじて、そこに現れた彼は、一緒に朝食を食べるはずもなく、忙しく家を出て行く背中を、ただ寂しく見つめていただけ──。そんな記憶しかない私たちが、本当に向き合って同じテーブルで朝食を食べることが出来るのだろうかと、今でもまだ半信半疑になってしまう。彼が優しくしてくれるたび、私に想いを向けてくれるたび、今までとあまりにも違いすぎて、これは夢の中で、いつかまた元の現実に戻ってしまうんじゃないのかと、ホントは毎朝不安になるほどなのに──。目が覚めてほしくないような、目を覚ましたいような、そんな気持ちが、ゆらゆら揺れ動く。だけど早く起きてしまったことで、私はそれがまだ夢の中なのかもわからないまま、彼と初めて過ごす朝食の時間に向けて、メイクやヘアセットをいつもの朝より入念にし、その時間を待った。彼に伝えられた時間になり、私は彼の部屋のドアの前に立つ。改めてそんな時間を過ごすと思うと、朝からこの心臓もうるさくなって、私は胸を手で抑え、深呼吸をゆっくりして落ち着かせる。そして、インターホンを鳴らすと、一弥さんがドアを開け顔を見せた。私の顔を確認すると、明るい表情になり、じっと私を見つめる。「おはよう──」私は彼を見ながら、小さく呟く。「おはよう。杏華──」彼は私をそのまま見つめながら、優しい声で微笑む。その言葉を聞いた瞬間、私は嬉しくて思わず俯きながら、その喜びを噛み締める。彼と、『おはよう』を言い合える日が来るなんて──。しかも、それは、こんなもに穏やかで柔らかい──
「お疲れ様。杏華」一連の撮影が終わり、夏希が声をかけてくれる。「お疲れ様~夏希」「……お疲れ」「お疲れ様。一弥さん」少し気まずそうに小さく呟く一弥さん。「無事終わってよかったね。杏華」「あっ、うん」「いやぁ、社長今回も途中で大暴れして、この撮影ぶち壊しちゃうんじゃないかとハラハラしてたよ」すると、いきなり夏希が少しニヤニヤしながらそんな言葉を呟く。「えっ? ぶち壊す? どうして?」「いや、だってレイくんと杏華が近づいたり微笑み合ったりするたび、今にも飛び出しそうな勢いで、思わず私必死に止めてたからね」「えっ! そうなの!?」「うん。でも『大人げないですよ社長。ただの撮影ですから』って、冷静になるようになだめておいた。そしたら社長、ピリピリしながらも悔しそうに、なんとか耐えてた(笑)」「おい! そこまで言わなくても!」夏希がケラケラと笑いながら私に暴露すると、一弥さんは少し照れくさいのか気まずそうに反応する。「いやぁ~私はめちゃめちゃ面白かったですけどね。杏華に一喜一憂する社長を見てて!」こういうときは上手になる夏希に、一弥さんはもう何も言わなくなってしまった。「でも。さっきスタッフさんから耳にしたんだけど、今回のレイくんとの撮影は、あえて社長がキャスティングしたらしいよ?」「えっ? そうなの……?」「私もそれビックリしたんだけどね。そんなにヤキモチ妬きまくるくらいだから、社長この仕事不本意で受けたのかなって思ってたんだけどさ。──社長、ホントの理由、杏華に伝えてあげてください」「ホントの理由──?」「──いや、うん。彼……レイくんは、最近売り出し中で、人気があるモデルだ。実はレイくんが杏華のファンだというのはずっと公言してるみたいで、彼のファンや世間的にも有名らしくてな。ずっと杏華と共演出来ることを本人もファンもホントに願っていたそうなんだ。それを彼の
「じゃあ、二人は同じ部屋で仲良く過ごしてる設定です。杏華さんはそのソファーに座ってもらって。レイくんはすぐ隣の床に座っていただいて、杏華さんの膝に両手を乗せて下からキラキラした目で見上げる感じにしてもらっていいですか? で、杏華さんは上からそんな年下くんをスマホを片手に可愛くて、つい見下ろしながら微笑むみたいな感じで」スタッフさんの指示通り、ソファーに座りスタンバイする。レイくんも同じく床に座り、私の膝に手を置こうとすると──。「おい! ちょっと待て! それ膝に手を置く必要ないだろ!」一弥さんがすぐそばまで近づいてきて、抗議しながら撮影を中断する。「え? 一弥さん?」「社長! ただの撮影のポーズですから! 落ち着いてください!」すると、夏希がピリついている一弥さんを止めに入る。「だが──! じゃあ、膝じゃなくソファーに肘つく感じでいいだろ!」「それって、どういう……」スタッフさんがそのポーズがよくわからないような反応をみせると──。「どうしてわかんないんだ! おい、若者! ちょっとどけ!」「えっ? はい!」一弥さんの勢いに、思わずその場をどくレイくん。すると、一弥さんがレイくんと同じように床に座り私を見上げる。目が合い、思わずドキッとする。「ソファーに片肘つきながら杏華の方に向いて、頬杖しながら下からこうやって見つめればいい」一弥さんがそう言いながらそのポーズをして、私を見つめる。下からそんなふうに見上げられることなんて今までなくて、真下でそんな一弥さんに見つめられて更に私の胸が高鳴る。やだ。一弥さんに今トキめいてどうするの!これはレイくんとの撮影なのよ!「そうすれば、無駄に触れ合わずに仲いい感じが表現出来るだろ。微妙な二人の関係の距離感なんだ。あえて距離をそこまで近づけない方がその雰囲気が出る。これで行け」「えっ?
今日は新しい現場で雑誌の撮影。朝食を取ってから、一弥さんがまたいつものように現場まで送ってくれて、一弥さんは同じスタジオで見守ってくれている。自分の急ぎの仕事がない限りは、またこうやって一緒に同行してくれるらしい。「杏華さん、紹介します。今日一緒に撮影していただくモデルのレイさんです」スタジオに撮影スタッフやモデルが集まり、今日の相手のモデルさんを紹介してもらう。「レイです! よろしくお願いします!」名乗ってくれたその相手のモデルさんは、私より少し年下っぽい子犬のように可愛らしい青年だった。「杏華です。こちらこそどうぞよろしくお願いします」彼が差し出してくれた手に、私は挨拶しながら握手をする。「うわ~感動! 俺、杏華さんのめちゃめちゃファンなんです!」そう言いながらキラキラと目を輝かせながら私を見つめ、全開の笑顔を向ける。「え? 私ですか? ありがとうございます」「俺。杏華さんの、どこか儚く見えて凛とした美しい強さを感じる雰囲気がすごく好きで! 杏華さんの写真初めて見たとき、もう『うわ~このモデルさん好きだー!』って速攻思っちゃったんです! だから、共演出来る日をホンットにずっと夢見てて! もうすでに俺めちゃ幸せです!」「え? そんなに!? なんか照れちゃうな。でも、すごく嬉しいです。ありがとうございます」今まで出会ったことないほどストレートにそんな気持ちを伝えられて、少し戸惑うけれどモデルとして認められるのは素直に嬉しいと思う。「あ~ヤバい! 俺緊張しすぎて、ちゃんと撮影出来るかな!?」ホントにそんなに好きでいてくれるなんて嬉しいな。ワンコのようにソワソワしながらウロウロする彼が可愛くて、クスッと思わず笑う。──すると。スッと一弥さんが私たちの前に割り込んで、レイくんの前に立ちはだかる。私と一弥くんは、その勢いで手が離れる。「俺は
ピンポーン。翌朝。家のインターホンのチャイムが鳴った。前日に一弥さんが宣言していた朝食の手配だろうと、私はドアを開ける。すると──。「杏華。朝食だ」そう言いながら銀のトレイに乗せた朝食を持った一弥さんが、玄関の前に立っていた。「え! 一弥さんが届けてくれるの!?」「当たり前だろ。こんな役目他の奴にさせられるか。この朝食はうちの桐生家御用達の一流栄養士とシェフに作らせた栄養たっぷりの朝食だ。初期の妊婦に必要な栄養素やカロリーすべて計算して作らせてある。毎朝、俺がこうして届けて、お前がちゃんと食べ終わるまで見届けさせてもらう」「え!? 食べるのも見届けるの!? 」「もちろんだ。お前は二人分の命を育てるんだからな。しっかり毎日見守るのが俺の役目だ」「フッ。何、その役目」「ほら。冷めないうちに食え」「あっ、うん。でも食べるのを見守るって、一弥さん、朝食は?」「あぁ。まだこれからだ。とにかくお前の朝食が優先だ。俺は適当に食うから問題ない」「ダメよ。時間あるなら、あなたもちゃんと食べないと」「忙しくて一日食事を抜くくらいのこと今まで何度でもある。俺にとったらお前たちのが大事だ」「え? 一日!?」「あぁ。そんなの日常茶飯事だ」「私を優先して食べないなんてダメよ! 朝食を持ってきて見守る時間があるなら、あなたも朝食をちゃんと食べて」「だから大丈夫だと言っているだろ」彼の想いは嬉しいけれど、自分の食事を犠牲にしてまでなんて、そんなの良くない。「じゃあ……こうしない? あなたの部屋で、毎朝一緒に食事をするというのはどうかしら」「……え?」「一緒に食べるなら、あなたもその時間見守りながら、ちゃんと食べることが出来るでしょ? 私もあなたが私を優先して食事を抜くことは嫌なの。あなたもあなたの時間を、ちゃんと大切にしてほしい」
「一弥。採寸終わったわよ」別の部屋で仕事をしていた一弥さんに真琴さんが声をかけにいき、リビングへと一弥さんが戻ってきた。「じゃあ、私次の仕事が詰まってるから、このまままたパリに帰るわね」「えっ! もうですか!?」「えぇ。一弥がどうしてもって聞かないもんだから、実は無理やりこの日だけスケジュール調整して戻ってきたの。また改めて日本にはゆっくり帰ってくるけど、今回は一度向こうに戻るわね」「えっ! このために無理やり合わせて来てくださったんですか!?」そこまでの弾丸スケジュールとは思わなくて、私は驚いて言葉を返す。ただの採寸だけでパリから数時間の滞在だなんて……。普通じゃなさすぎて、現実味の無さに衝撃を受ける。「姉さん、忙しいのにわざわざ悪かったな」「いいのいいの! 可愛い弟と杏華ちゃんのためだもの~。今まで二人のために何もしてあげられなかったから、私もようやく姉らしいこと出来るのが嬉しいわ」「真琴さん……」真琴さんの優しさがありがたくて嬉しくて……。昔から頼りがいある素敵な女性で、たくさん力になってくれる人だった。本当の姉のように慕っていたけど、今また改めてこういう関係になって、真琴さんがどれだけ素敵な人なのかをまた実感する。「そうね。次は杏華ちゃんの出産辺りに合わせて帰ってこれるよう今から調整しとくわ。二人の可愛い双子を、私も一日でも早くこの目で見たいもの。あ~この手に双子ちゃんを抱けるのが今から楽しみで仕方ないわ!」「はい! ぜひそのときまたお会い出来るのを楽しみにしてます!」「じゃあ、二人このまま仲良くするのよ!」「あぁ。わかってる。これから、うんと杏華も子供たちも甘やかせてやるつもりだから心配するな」「えっ? 一弥さん!?」平然とさらっとそんな言葉を呟く一弥さんを思わず見つめて、私一人戸惑ってしまう。「じ
「お姉ちゃん、どうしてあんなことしてバレないと思ってるんだろ」 え……、あんなこと……? バレる……? なんの話……? 「まさか、あいつが俺の知らないところで、男漁りしてるなんて心底見損なったよ」 男漁り……? さっきも、それ言ってたけど……どういうこと……? 「お姉ちゃん、もうそれ病気なの……。一人の男性では満足出来なくて、常に自分の欲望を満たしてくれる男性を探し求めてるの」 ちょっと待って……! あまりにも身に覚えのない酷い綾乃の嘘に私は驚いて言葉を失くす。 「俺もまんまと騙されたよ。まさかずっと清純なフリをしてたなんてな」 酷い……! 一弥さんもどうしてその言葉を信じるの…
「……?」 目の前に差し出された離婚届を見つめ、喉が張り付いたような声で問い返した。 「あなた……どういう意味なの?」 「綾乃から、全部聞いた」 彼の顔には、余計な表情は一切なかった。 あるのは、骨の髄まで染み込んだ冷酷さだけ。 「三年前、うちとお前の家に政略結婚の話があると知っていただろ。 お前は俺と結婚したかったから、彼女を追い出した。別れを強要し、海外へ行かせたんだ」 ――ドン、と。 頭の中が、真っ白になった。 「違う……」 声が震えながらも、私は必死に最後の光にすがる。 「一弥さん、信じて……! あの時は、彼女が自分で行きたいと言って……私は……」 「もういい
「わあ、すごく綺麗なお花!」 綾乃は、私の腕の中に抱えられた花束を、目を輝かせて見つめた。 私は反射的に花束を抱き寄せる。 「この花は……」 言い終える前に、すらりとした長い手が、私の腕の中から花束を奪い取った。 呆然と顔を上げると、そこには桐生一弥の、感情の揺らぎひとつない瞳があった。 彼は、私が心を込めて選んだ――純潔な愛を象徴する白いバラの花束を手にすると、そのまま自然な動作で振り返り、綾乃の前に差し出した。 「誕生日おめでとう、綾乃」 低い声だったが、突然静まり返った個室の中には、はっきりと響き渡った。 綾乃は驚きと喜びの入り混じった表情で花束を受け取り、顔を花びらに
【プロローグ】 初恋は実らないものだ、と人はよく口にする。 私はそれを信じず、初恋の人と結婚した。 結婚三周年記念日。 私は妊娠をした身で、ミシュランに引けを取らないほどのご馳走を並べ、彼の帰りを待っていた。 すると彼から一本のメッセージが届き、ある高級レストランの住所だけが記されていた。貸し切りだと。 ついに彼も気が回るようになったか、サプライズを用意してくれたのかと思った。 ドアを開けた先にあったのは、私の妹・綾乃の誕生日会だった。 その瞬間、私はすべてを悟った。 自分だけが幸せだと思い込んでいたこの結婚は、最初から最後まで私ひとりだけの独り舞台だった。 私はあの子の影